こちらをカチッとやっておくんなまし➯盂蘭盆会のご案内と浄土真宗のお盆のはなし
御門徒宅へお参りに行きお寺での法要・法座へお誘いすると「私、不信心なもんで…」という言葉が返ってくることがよ~くあります。
網走番外地の「私、不器用な人間ですから…」を思い出しますが…。
ただ、その言葉を聞くたびに違和感を覚えます。
「不信心だからお寺へ行かない」というのはまるで
「体が悪いところだらけなので病院へは行かない」と言っているのと同じことでは?
文法上の理屈が通っていません。
私たちは、お腹が痛いから…足腰が痛いから、自分ではどうにもならないから病院を、医者へ足を運びます。
同様に、一番大事な自分の命の行く先は?私の亡き父母や兄弟姉妹、亡き友人、恋人や愛人の命は一体どこへ?皆さんの大事だった人々は「死」と同時に「無」となったんでしょうか?
それがわからないからこそお寺へ足を運び、わが命の行く先を聞くのです。
お参りに誘われたとき、皆さんの正しい答え方は、
「私は不信心だからこそお寺へ参ります!」の一言です。
お墓へ行き、納骨堂で亡き人へ感謝し、そして皆様の、
皆様の、
皆様のお寺へお参りしましょう!