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台風21号と胆振東部地震②

台風21号の影響で5日午前3時頃から始まった停電は約12時間後の午後3時過ぎに復旧しましたが、なんとそれから12時間後の6日午前3時8分に発生した胆振東部地震によって長い長い停電に突入しました。その日その時間、自宅で寝ていたところ揺れが早いか、恐怖しか感じられない政府からの警告アラームが早いか飛び起きました。震源地の厚真町は北海道初の震度7、石狩は5弱と経験したことのない揺れでした。9月10日の朝刊では35名の方が亡くなり心肺停止の状態で発見された方が2名、安否不明者が3名と報じています。当寺は胆振地方のお寺とは前住職のころから縁があり、昔を知る方は厚真の阿部さんや安平の齊藤さんと聞けば懐かしい方もいるでしょう。ほぼ震源の阿部さんのお寺の真正寺様は本堂が倒壊の危険があり本堂内立ち入り禁止、隣町の齊藤さんのお寺の浄願寺様は下の写真で分かる通り本堂内陣の阿弥陀様のお家の「宮殿」が倒れ御本尊が損壊、納骨堂は仏具が散乱し建物の外壁には亀裂が走るといった状態のようです。他寺院でも山門や鐘楼堂(鐘撞き堂)倒壊、新築間もない庫裏が損壊等々想像を絶する惨状との報告を受けています。ただ、ご住職始め寺族の皆様は怪我等なかったようでしたが、報道にあるように土砂崩れによる犠牲者の中に阿部さんのお寺のご門徒さんがいたようで早速明晩お通夜を勤めるとのことでした。思い通りにならない命を背負っていることを再認識するしかなく、ただ、お念仏をお称えする他ありません。教訓にするためにも近々お見舞いも含め現状を目の当たりにしなければならいと、邪魔をしないように訪問する日取りを思案中です。

写真は特に被害の大きいお寺を掲載しました。他にも大小様々被災しており、車中泊を余儀なくされている方もいらっしゃいます。(写真はFacebookより)

 

 

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台風21号と胆振東部地震①

平成30年はこの上なく天変地異の激しい年です。皆様はお元気でお過ごしですか?国内では梅雨前線と台風7号の影響で西日本を中心に集中豪雨で221名が亡くなり今だ9名が行方不明、全半壊の家屋は16000軒を超えました。逆走台風があったかと思えば災害級の猛暑に又豪雨。道内は雪解けが早かったと思ったら6~7月中旬にかけ低温とやはり集中豪雨により河川氾濫、7月下旬は猛暑、8月に入り冷夏ともいえる涼しさから後半は雨、9月4~5日は新篠津村の浄楽寺様で報恩講でしたが台風21号接近の予報通り夜半から猛烈な風と停電で二日目は急遽中止になりました。住職は浄楽寺様に宿泊したのですが中止の報を聞き高岡へ戻ると境内のアカシア?の木が2本根こそぎ倒れていました。ただ不幸中の幸いで建造物にはかすめただけで済みましたが、市道にかかっていたようでご門徒の方にお願いし敷地内に戻してもらいました。総代長に相談しとりあえずチェーンソーで細かく裁断し処分は後日ということになりました。総代長とご門徒の2人で約4時間の作業本当に有り難うございました。まだ本堂の裏にありますのでご覧になりたい方や薪にしたい方はどうぞ。その後、別のご門徒の方も駆け付けて下さり掃った大量の枝をトラックの荷台に乗せ処分して下さいました。総代長、藤岡正明さん、櫻田勲さん、竹永英吉さん本当に有り難うございました。人的被害は無いようでしたが、近所では屋根のトタンの剥がれは多数に上り、車庫が飛ばされたりD型倉庫は潰され、ビニールハウスのビニールは吹き飛ぶという惨状でした。約12時間もの停電は不便でしたが、復旧したときの喜びもひとしおでした、が、まさかその12時間後に又長時間の停電に襲われるとは思いもしませんでした。

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永代合葬廟開設します~本年10月より供用開始予定

 昨今、主に後継者不足などの理由によりご先祖のお骨を守ることに不安を持つ方が増え、そのような相談を受ける機会が増えています。その不安を解消し皆様が心安らかにご先祖を偲ぶ環境づくりも、仏教寺院として大きな役割であることを、ここ数年考え続けていました。この度開設の『永代合葬廟(えいたいがっそうびょう)』とは、一定期間を個別区画で骨壺の状態でお預かりした後、光明寺納骨堂内の合同墓に合葬(他の方のお骨と合同)し、お寺が続く限り永代にお骨をお預かりする御廟(墓)です。

御門徒や有縁の皆様には利用規約など詳細が決まり次第お知らせ致しますので、是非この機会にご利用ご検討下さいますよう御案内を申し上げます。利用冥加金はなるべく負担を少なく設定するつもりです。個別区画棚は既に設置済みにつき随時ご覧戴けますのでご連絡をお願い致します。

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~ご案内~

既存の仏壇付き納骨壇も空きがあります。

ご家族単位用・55~65万円(お骨箱で約10体収容)

ご夫婦用・25~40万円(お骨箱で2体収容)

納骨堂管理費・1か年 2,500円(他に寺院維持費として1か年15,000円)

お陰様でお盆も過ぎました

お盆中は多忙につき、更新の元気がなくお久しぶりです。

お陰様で今年も無事にお盆のお参りを勤めさせて戴きました。7月下旬は暑さが続くと8月のお盆参りは相当汗を拭きながらと思いきや、暑さのピークが過ぎると一日ずつ涼しくなり、秋を感じながら各ご門徒のお仏壇へお参りしました。

思い返すと、駒沢苫小牧高校が夏の甲子園を沸かせていた頃、2004~06年の3年連続決勝進出という快挙に道民皆テレビにくぎ付け、坊さんもお参りの家の前に到着も野球中継になかなか車から降りられずにはかどらなかったことが思い出されます。今年は惜しい試合もありながら、道勢が早々に敗退し「さあ、お参りお参り」と、最近は高校野球を見ると、我が長男と同年代の子が猛暑の中グラウンドを駆け回り、負けて涙する姿に心が熱くなります。現在は準々決勝の滋賀県近江高校対秋田県金足農業高校の試合が行われています。

各家にお参りに伺いますと、帰省された方や親戚が集まり皆さんでお参りという家もあり、つくづくお盆っていいなあと思うと同時に、中には30人ほど集まり宴会中のお宅もあり本家の嫁さんは大変だな、と同情申し上げます。お寺の西井家は出た人もいないため当然帰る者もいませんので普段通りのお盆です。お寺の納骨堂にも沢山の方々がお供えを手にご先祖のお参りに見えました。お盆が終わるといよいよ各お寺で一斉に報恩講が勤まります。光明寺でも10月22、23日に報恩講を行いますので、住職からのお願いですので全5座のうち1座でもお参りにお越し下さい。待ってますよ。

それにしても今朝(8月18日)の寒さはびっくりでした。下の写真の通り12度でした。お向かいのメロンのビニールハウスも外され否応なしに夏の終わりを思い知らされます。頭の中で山下達郎の「♪さよなら夏の日」が流れてきます。

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お盆はお寺へ行こう‼

ご覧下さい➯お盆のお参りのお知らせです

この風景を見に来てください。何処の写真か分かりますか?写真にカーソルを合わせると答えが出ます。風は有るけど暑いです。

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五の沢地藏沢~  五の沢

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地藏沢地区の馬頭観音講 追悼法要を行いました。

IMG_0004今年最後の馬頭さんの追悼法要が地藏沢地区(高岡町内会第5班)で行われました。3か所でのお参りのうち一番暑い日でした。ここのお参りは1度の法要で2回お参りをします。農耕馬の追悼碑の他にもう一つ碑があり、聞きますとむかーしこの辺りで一本橋から落ちて亡くなった人か行き倒れになった人かはっきりしないそうですが、いずれにしても亡くなった方を供養する意味を込め追悼碑(供養碑)が建立されたそうです。ただ、亡くなった方の名前も身元も全く不明ながら無縁にすることなく、経費も掛かるだろうにいまだにお供物と花を供え欠かさずお参りをされています。農耕馬の恩恵を知る人は少なくなり、年々維持する講員も高齢化等の理由により減少しているようなことも聞きます。その流れを見据えると、ゆくゆく維持が困難になり、その碑の持つ意味を知らぬ人が増え荒れ行きお参りする人がいなくなるのか、「感謝」という言葉も薄れゆくような気がしてなりません。だからこそ、出来る限りいつまでも続けなければならない田舎の文化の一つではないかと思います。(上の写真を撮る際カメラの設定を間違え血色悪く寒そうに見えますが、暑い日で皆さんお元気なようでした)

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五万坪地区馬頭観音講 追悼法要

IMG_0003五万坪地区の馬頭観音講の追悼法要は例年、7月15日に行ってなっていますが、当日は大変な風雨で早々に延期になり16日の夕方に無事務めました。高岡に3か所ある馬頭さんの中で一番お参りが多く、賑やかに開催されています。昔は地域に子供が沢山いて下校後の子が一緒にお参りをしておやつを貰ったものですが、高岡も少子化が著しく進行している中、写真をご覧のように小さなお参りが見えました。きっと大きくなり高岡を離れることになってもここでお参りしたことを覚えていてくれるでしょう。それにしても今年は寒く雨天が続き、この日も7月中旬にしては肌寒い日でした。本州では40度に迫ろうかというほどの暑さのようですが、北海道に5度くらい分けてくれればお互い助かるだろうに日本は狭いのか広いのかよくわかりません。西日本では集中豪雨により13府県で200人を超える方が命を失い、行方不明者は約50人。避難所に身を寄せる方は6000人に迫ろうとしています。狭い国土故、まるで山を背負うように人が暮らしているような場所も見受けられます。ニュースを見た折、避難を呼び掛けはしたものの「まだ大丈夫」と逃げ遅れ、結果犠牲になった方もいたようでした。行政から避難指示は出ていたことと思うし、ここ数年異常気象による自然災害が多発していることが教訓になっているはず、と私は思いました。しかしいざ危機が目前に迫ると人は「まだ大丈夫」と思うしそう思い込みたいのかもしれません。私にも思い当たる節があります。体調不良に陥っても「明日には治っているかも」と自分勝手に決め込んでいました。その繰り返しの中40代半ばに差し掛かりいよいよ内臓疾患により入退院を繰り返した時期がありました。決定的な事態を恐れ「何でもないだろう」「ただの気のせい」そう思い込むようにしていました。今回の災害は、正しい認識を持てば防げたはずの命も沢山あったのではないかという気がして仕方がありません。人は時折間違いを起こす、という意識がもう少しでもあれば結果は違っていたかも知れないと思うととても残念であり、何も力になれない身としては、只々被災者の皆さんが笑って暮らせる日が戻ることを願うばかりです。

今年最後の馬頭講は今月20日午後2時から高岡の地藏沢地区で行われます。

中央馬頭観音講 追悼法要

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毎年決まった7月7日に中央馬頭観音講の追悼法要を行いました。夕方とはいえ、7月とは思えない冗談でなく本当に寒い日でした。(写真は昨年のです。昨年はうだるような暑さでした)昔は鬱蒼とした雑木林だった当所へ開拓に入り耕作地にする為一本一本木を切り倒し、その木を運ぶのに馬の力を借り、ようやく畑が出来ると耕すのにも馬の力を借り、当時の農作業は馬がいないことは考えられない時代だったでしょう。その馬が伝染病と思われる病気で多数が死んだと聞きました。又、力尽き命尽きた馬もいたことでしょう。高岡地区には3か所の馬頭観音の碑が建立され講員によって護持されています。しかし、講員も年々高齢化が進むと同時に農耕馬の恩恵を知らない機械化の世代に移り、追悼碑の維持や法要の実施にご苦労が増えゆく中、今月15日午後5時からは五万坪地区馬頭講で同20日午後2時からは地藏沢地区の馬頭講がそれぞれ追悼法要が営まれます。現代農業も苦労が尽きないこととは思いますが、それでも先人の苦労があったからこそ今の私たちの苦労もあるが、幸せもあることと思います。馬頭講にお参りする度、継続の有難さと難しさを感じます。

平成30年7月6日

平成30年7月6日朝、オウム真理教教祖の他信者6名の死刑が執行されました。突然の報道に驚くと同時に何とも表現し難い感情が込み上げてきました。とにかく嬉しさや安堵は一切なく、一体何故あのような前代未聞な事件が次々と惹起されたのか、刑死したことによって事件の肝要が当事者の口から語られれことなく真相が不明のまま事件の終焉を迎えようとしています。恐らく残る死刑囚も近々刑が執行されるでしょう。誰もが知る「坂本堤弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」「公証人役場事務長逮捕監禁致死事件」を含め立件の可否を問わず41もの事件を起こし「ポア」という言葉がオウム事件でスポットライトを浴びましたが、本来ポアの持つ意味は、資料ではチベットではポワといい、死後に迷う事なく良い来世に向かわせる為に死に瀕した者の耳元で経文を称えるなどの特殊な作法の事とあります。実際に以前の浄土真宗では「臨終法話」といい人生の終わりに臨まんとする人に対し安心して成仏を遂げられるよう耳元で法話を行うことがあったようで、両者共に仏教儀式として理解を得られることと思いますが、オウム真理教は教団独自の偏った目的を達成する為「ポア」の意味を拡大解釈且つ仏教教義を捻じ曲げ、あたかも仏の教えに沿っているかのごとく殺人を正当化したように思えます。一連のオウム事件では30人を死亡に至らせ6917人以上を負傷させました。殺人は人の命を奪うと同時にその人の有ったはずの時間も奪います。喜びを享受する時間、悲しみの時間、時には辛苦を味わい楽を味わい、それらの時間を一瞬に奪ってしまう。一命をとりとめてもサリンの事件でいまだに麻痺に侵され寝たきりの状態の方もいらっしゃいますが、同様に時間と可能性を奪われたことと私は思います。「なぜ私が?」「なぜこの日に?」「なぜこんなことが?」「なぜ…なぜ…なぜ…」 今回の執行で一連のオウム事件に一つの区切りはついたかもしれないが、被害に遇われた当事者にとっては刑が執行されたことで尚一層終わりのない時間が続くことと思います。限りなく通過点に近い一区切りを迎え、死刑執行されてなお、釈然としない死刑という不思議な制度を感じた日でした。

犬です

住職の次男が「弟が欲しい」と騒ぎ出し、「そう簡単にいくかいな」と思い、坊さんが言いがちな「ご縁」で3年前に飼いだしたのが黒いオスのパグです。名前は「自摸(つも)」といいます。「ポン」や「チー」も考えましたが、ポンやチーのように他を当てにするのではなく、自分の力で生きられるように自摸と名付けました。体重10㎏を優に超えます。嫌いな人は嫌いな顔ですが、変わり者の住職や家族一同すさんだ心の癒し処です。ものすごい甘ったれの犬です。3年で左写真から右へ肥大しました。

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