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月別アーカイブ: 2018年7月

お盆はお寺へ行こう‼

ご覧下さい➯お盆のお参りのお知らせです

この風景を見に来てください。何処の写真か分かりますか?写真にカーソルを合わせると答えが出ます。風は有るけど暑いです。

IMG_0016    takaoka ~

五の沢地藏沢~  五の沢

IMG_0013  IMG_0005蓮

地藏沢地区の馬頭観音講 追悼法要を行いました。

IMG_0004今年最後の馬頭さんの追悼法要が地藏沢地区(高岡町内会第5班)で行われました。3か所でのお参りのうち一番暑い日でした。ここのお参りは1度の法要で2回お参りをします。農耕馬の追悼碑の他にもう一つ碑があり、聞きますとむかーしこの辺りで一本橋から落ちて亡くなった人か行き倒れになった人かはっきりしないそうですが、いずれにしても亡くなった方を供養する意味を込め追悼碑(供養碑)が建立されたそうです。ただ、亡くなった方の名前も身元も全く不明ながら無縁にすることなく、経費も掛かるだろうにいまだにお供物と花を供え欠かさずお参りをされています。農耕馬の恩恵を知る人は少なくなり、年々維持する講員も高齢化等の理由により減少しているようなことも聞きます。その流れを見据えると、ゆくゆく維持が困難になり、その碑の持つ意味を知らぬ人が増え荒れ行きお参りする人がいなくなるのか、「感謝」という言葉も薄れゆくような気がしてなりません。だからこそ、出来る限りいつまでも続けなければならない田舎の文化の一つではないかと思います。(上の写真を撮る際カメラの設定を間違え血色悪く寒そうに見えますが、暑い日で皆さんお元気なようでした)

地藏沢記念碑 IMG_0006 IMG_0002

納骨堂開放のお知らせ

お盆も近づき納骨堂開放のお知らせを申し上げます。

8月5~20日 午前7時開門~午後9時閉門

どうぞご自由にお参り下さい。

8月16日(木)午後1時から お盆の納骨堂法要

 同日  午後1時30分から 盂蘭盆会法座(本堂)

誰でもお参り下さい。

納骨堂のお経をご希望の方は8月12~16日午前9時から(16日は正午まで)坊守か若院(息子)時に住職が常駐致しますので、納骨堂の水屋に設置のインターホン(写真左・納骨堂と本堂の渡り廊下)でお呼び出し下さい。

本堂側の玄関(写真中央)と寺務所(住職室・本堂横の廊下突き当り)にもインターホンを設置しましたので寺務所にご用の方はご利用下さい。

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お盆は尊い仏教行事であり、大切にしたい日本の伝統的風習でもあります。多忙な日々を送る私たちへ与えられた数少ない御仏縁にお参りをしましょう。

納骨堂のお参りと一緒に本堂の阿弥陀さまへも「お参りに来たでヨ」と御挨拶を致しましょう。

五万坪地区馬頭観音講 追悼法要

IMG_0003五万坪地区の馬頭観音講の追悼法要は例年、7月15日に行ってなっていますが、当日は大変な風雨で早々に延期になり16日の夕方に無事務めました。高岡に3か所ある馬頭さんの中で一番お参りが多く、賑やかに開催されています。昔は地域に子供が沢山いて下校後の子が一緒にお参りをしておやつを貰ったものですが、高岡も少子化が著しく進行している中、写真をご覧のように小さなお参りが見えました。きっと大きくなり高岡を離れることになってもここでお参りしたことを覚えていてくれるでしょう。それにしても今年は寒く雨天が続き、この日も7月中旬にしては肌寒い日でした。本州では40度に迫ろうかというほどの暑さのようですが、北海道に5度くらい分けてくれればお互い助かるだろうに日本は狭いのか広いのかよくわかりません。西日本では集中豪雨により13府県で200人を超える方が命を失い、行方不明者は約50人。避難所に身を寄せる方は6000人に迫ろうとしています。狭い国土故、まるで山を背負うように人が暮らしているような場所も見受けられます。ニュースを見た折、避難を呼び掛けはしたものの「まだ大丈夫」と逃げ遅れ、結果犠牲になった方もいたようでした。行政から避難指示は出ていたことと思うし、ここ数年異常気象による自然災害が多発していることが教訓になっているはず、と私は思いました。しかしいざ危機が目前に迫ると人は「まだ大丈夫」と思うしそう思い込みたいのかもしれません。私にも思い当たる節があります。体調不良に陥っても「明日には治っているかも」と自分勝手に決め込んでいました。その繰り返しの中40代半ばに差し掛かりいよいよ内臓疾患により入退院を繰り返した時期がありました。決定的な事態を恐れ「何でもないだろう」「ただの気のせい」そう思い込むようにしていました。今回の災害は、正しい認識を持てば防げたはずの命も沢山あったのではないかという気がして仕方がありません。人は時折間違いを起こす、という意識がもう少しでもあれば結果は違っていたかも知れないと思うととても残念であり、何も力になれない身としては、只々被災者の皆さんが笑って暮らせる日が戻ることを願うばかりです。

今年最後の馬頭講は今月20日午後2時から高岡の地藏沢地区で行われます。

中央馬頭観音講 追悼法要

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毎年決まった7月7日に中央馬頭観音講の追悼法要を行いました。夕方とはいえ、7月とは思えない冗談でなく本当に寒い日でした。(写真は昨年のです。昨年はうだるような暑さでした)昔は鬱蒼とした雑木林だった当所へ開拓に入り耕作地にする為一本一本木を切り倒し、その木を運ぶのに馬の力を借り、ようやく畑が出来ると耕すのにも馬の力を借り、当時の農作業は馬がいないことは考えられない時代だったでしょう。その馬が伝染病と思われる病気で多数が死んだと聞きました。又、力尽き命尽きた馬もいたことでしょう。高岡地区には3か所の馬頭観音の碑が建立され講員によって護持されています。しかし、講員も年々高齢化が進むと同時に農耕馬の恩恵を知らない機械化の世代に移り、追悼碑の維持や法要の実施にご苦労が増えゆく中、今月15日午後5時からは五万坪地区馬頭講で同20日午後2時からは地藏沢地区の馬頭講がそれぞれ追悼法要が営まれます。現代農業も苦労が尽きないこととは思いますが、それでも先人の苦労があったからこそ今の私たちの苦労もあるが、幸せもあることと思います。馬頭講にお参りする度、継続の有難さと難しさを感じます。

平成30年7月6日

平成30年7月6日朝、オウム真理教教祖の他信者6名の死刑が執行されました。突然の報道に驚くと同時に何とも表現し難い感情が込み上げてきました。とにかく嬉しさや安堵は一切なく、一体何故あのような前代未聞な事件が次々と惹起されたのか、刑死したことによって事件の肝要が当事者の口から語られれことなく真相が不明のまま事件の終焉を迎えようとしています。恐らく残る死刑囚も近々刑が執行されるでしょう。誰もが知る「坂本堤弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」「公証人役場事務長逮捕監禁致死事件」を含め立件の可否を問わず41もの事件を起こし「ポア」という言葉がオウム事件でスポットライトを浴びましたが、本来ポアの持つ意味は、資料ではチベットではポワといい、死後に迷う事なく良い来世に向かわせる為に死に瀕した者の耳元で経文を称えるなどの特殊な作法の事とあります。実際に以前の浄土真宗では「臨終法話」といい人生の終わりに臨まんとする人に対し安心して成仏を遂げられるよう耳元で法話を行うことがあったようで、両者共に仏教儀式として理解を得られることと思いますが、オウム真理教は教団独自の偏った目的を達成する為「ポア」の意味を拡大解釈且つ仏教教義を捻じ曲げ、あたかも仏の教えに沿っているかのごとく殺人を正当化したように思えます。一連のオウム事件では30人を死亡に至らせ6917人以上を負傷させました。殺人は人の命を奪うと同時にその人の有ったはずの時間も奪います。喜びを享受する時間、悲しみの時間、時には辛苦を味わい楽を味わい、それらの時間を一瞬に奪ってしまう。一命をとりとめてもサリンの事件でいまだに麻痺に侵され寝たきりの状態の方もいらっしゃいますが、同様に時間と可能性を奪われたことと私は思います。「なぜ私が?」「なぜこの日に?」「なぜこんなことが?」「なぜ…なぜ…なぜ…」 今回の執行で一連のオウム事件に一つの区切りはついたかもしれないが、被害に遇われた当事者にとっては刑が執行されたことで尚一層終わりのない時間が続くことと思います。限りなく通過点に近い一区切りを迎え、死刑執行されてなお、釈然としない死刑という不思議な制度を感じた日でした。