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日別アーカイブ: 2018年7月6日

平成30年7月6日

平成30年7月6日朝、オウム真理教教祖の他信者6名の死刑が執行されました。突然の報道に驚くと同時に何とも表現し難い感情が込み上げてきました。とにかく嬉しさや安堵は一切なく、一体何故あのような前代未聞な事件が次々と惹起されたのか、刑死したことによって事件の肝要が当事者の口から語られれことなく真相が不明のまま事件の終焉を迎えようとしています。恐らく残る死刑囚も近々刑が執行されるでしょう。誰もが知る「坂本堤弁護士一家殺害事件」「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」「公証人役場事務長逮捕監禁致死事件」を含め立件の可否を問わず41もの事件を起こし「ポア」という言葉がオウム事件でスポットライトを浴びましたが、本来ポアの持つ意味は、資料ではチベットではポワといい、死後に迷う事なく良い来世に向かわせる為に死に瀕した者の耳元で経文を称えるなどの特殊な作法の事とあります。実際に以前の浄土真宗では「臨終法話」といい人生の終わりに臨まんとする人に対し安心して成仏を遂げられるよう耳元で法話を行うことがあったようで、両者共に仏教儀式として理解を得られることと思いますが、オウム真理教は教団独自の偏った目的を達成する為「ポア」の意味を拡大解釈且つ仏教教義を捻じ曲げ、あたかも仏の教えに沿っているかのごとく殺人を正当化したように思えます。一連のオウム事件では30人を死亡に至らせ6917人以上を負傷させました。殺人は人の命を奪うと同時にその人の有ったはずの時間も奪います。喜びを享受する時間、悲しみの時間、時には辛苦を味わい楽を味わい、それらの時間を一瞬に奪ってしまう。一命をとりとめてもサリンの事件でいまだに麻痺に侵され寝たきりの状態の方もいらっしゃいますが、同様に時間と可能性を奪われたことと私は思います。「なぜ私が?」「なぜこの日に?」「なぜこんなことが?」「なぜ…なぜ…なぜ…」 今回の執行で一連のオウム事件に一つの区切りはついたかもしれないが、被害に遇われた当事者にとっては刑が執行されたことで尚一層終わりのない時間が続くことと思います。限りなく通過点に近い一区切りを迎え、死刑執行されてなお、釈然としない死刑という不思議な制度を感じた日でした。