8月16日午後1時より本堂でご門徒や有縁の皆様とお盆の納骨堂法要と盂蘭盆会(うらぼんえ)のお参りをしました。雨の中でしたが、沢山のお参りが見え尊いご縁でした。いつもはお参りの後お盆に因んで「餓鬼道の世界」のビデオをご覧戴いていますが、内容のおどろおどろしさに不評の方も居り今回は住職が2席お話させて戴きました。
1席目は、浄土真宗は仏壇に水を供えるのか、供えないのかの疑問からお供えとは何なのか。2席目は「お盆」の本当の意味と、誰のための仏教行事なのか、についてご法話を申し上げました。今年も沢山の方が納骨堂にお参りに見えお供えされます。見ますと色々なお供え物がある中、故人が好きだったのでしょう、ビールや日本酒が供えられている納骨壇もありますが、今は商売上手の世の中でビールも日本酒もお供えし易いように通常サイズの1/3程のものが売られています。そして中には仏さまが飲み易いようにとの願いからか、蓋が開いている場合もあります。大体はお供えしたまま置いて行かれますのでお盆が終わると片付けをし、勿体ないのでまだ戴けるものは住職や寺族のお腹へ行きます。「ビールをお供えする場合、仏さまは350ml以上で蓋を開けないものを好まれます」と張り紙をしようかと思うほどです。
「お供物」とは、私達が仏さまに食べて下さい、と差し上げるものではなく、今生きている私の命の為に与え供えて下さる食べ物の恵みに感謝と報告を申し上げることが本来の意味合いです。そう考えますと、お供えはお参りの後は置いていくのではなく、お下がりとして皆で分け自分の口に運び、食べ物と食べ物を与えて下さった御縁に感謝を申し上げるのが正しいお供物の姿です。仏さまの極楽浄土では「食べたい」と思ったらすぐさま目の前にその食べ物が出てくる世界だそうですが、そもそも食べたいとか、あれが欲しいとかという煩悩(欲望)すら起きないのが仏さまであり、極楽浄土の世界です。
自分の命の為に犠牲になってくれた命を「いただきます」
自分の命の為に馳せ、走り回って食べ物を用意して下さった感謝に「ご馳走さまでした」